- 旅行
園内の休憩所で、男性二人が腰かけて、池を見ながら何かしゃべっています。
スパイ気分で背後に座り、話に耳を傾けると
おおっ!やっぱり・・コロッケさんみたく カワセミ待ちの方々でした
出るんだ、ここ
しばらく待ったけど、そんなに都合よく来るはずもなく
次、行こか
道に迷ったらイケメンを探しては道を尋ねて 広島のイケメンは皆さん親切でした ^^
小学生の時に父に連れられてきた平和記念資料館を目指します。
バスから降りて、ちょっと横道まで歩いて原爆の投下点へ
個人経営の病院の横にその場所はあり、背負い続ける十字架は 重いな
たくさんの外国観光客の方々に囲まれるようにして、原爆ドームの石碑を読み
歩いて橋を渡れば、いよいよ平和公園です。
この広い川が、水を求めて降りた人々の遺体で埋め尽くされたんだなと想像します。
私がここに来たのは、小学校の4~5年の頃です。
でも
当時の展示は今より刺激的で、あまりのむごさで気分が悪くなり、逃げ出すように館から出ました
多分 一番怖かったのは 被爆再現人形 ← ここから見れます
だと思いますが、焼けた体や日用品の写真も、子供の私には かなりの衝撃でした。
今も覚えているのですが、帰路に好物のオムライスを食べようとしたら、
ケチャップご飯が、館内で見た黒焦げのご飯に見えて食えず トラウマです
映画「この世界の片隅に」を思い出させる市内電車。今は 豪華な3両編成に
でもいつか、機会があれば リベンジしてちゃんと見ておかねばと思っていました。
リニューアルされた展示は、死んだ子供たちの遺品と生前の写真で構成されていて
つつましい幸せを理不尽に奪った戦争を考えさせる内容が多く
臆病な私も、怖がらずに最後まで見て歩くことができました。
原爆の被害については、いろいろ見聞きしていたつもりでしたが
九死に一生を得た方々のその後が生き地獄になっていたことを知らせる展示が最後にあり、驚かされました
被爆の後遺症で思うように働けず、戦後で食べ物も仕事もなく
幸せな家庭が、極限の貧困のなかで崩壊し、苦渋の人生を強いられた方が大勢いらしたことに
近年の震災で日本の各地で被災された方々の、その後の人生の苦難を思いました
死んだ我が子の大切な写真を寄贈されたご両親の多くは、すでに亡くなりました
でも、75年前に亡くなった子供たちの笑顔は、これからも見る人の心を揺さぶり続けます。
平和資料館を出たら、やっぱり、心がずしりと重かったのですが
見ずに逃げ帰った子供の私の代わりに、再訪が出来てよかったです。
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